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紳士はオアツイノガお好き!(日本歴史) [精神科医]

歴史を読み直して、現代政治の力学を眺めると、思わずこんなタイトルを書いて見たくなった。オレはいま、和歌森太郎古代史・中世史を再読し、また『天皇制の歴史心理』を再読して、愛国心って何なのか、国ってなんなのか、いわゆる、嶋国の日本国はなぜ、天皇制を必要としたのかを、考えているのですが、奈良の大仏の象徴は国家宗教であり、聖武天皇発願後、すったもんだして、天皇が病にかかり、考謙天皇に(女帝)に譲り自分は上皇となり、年号が天平勝宝となり752年にようやく開眼会(かいげんえ)ができたらしい。

その間、仏教の二重構造があり、行基が民間信仰に活躍し、他方で権力者が仏教の力を反映させるために、使役を民衆に背負わせて、蘆舎那佛(るしゃなぶつ・大仏さん)を造るのに743年発願から約10年の歳月かかり、民衆の寄進、勧進に行基を利用した。一方で天皇制中心の貴族仏教隆盛をはかり、弾圧された行基だったのにね。

平城京遷都745年。オレは藤原宮にはいわく言い難い思い出がある。橿原市の165号線に沿って道路が整備され、「ロマントピア藤原京’95創都1300年」のイベントが行われた。オレは自分の体調不良とこの年の1月にあった阪神淡路大地震の影響で最悪の状態になった。不規則と寝不足と自営業の破綻への恐怖と自分の健康破壊が同時進行する中、「生きているうちが華なのよ!」と新人編集員に好待遇(アパート提供・年俸500万円弱の保証)という破格で乗り切りを図ろうとした。春、オレはあぜ道の路肩の会場に重たい合本『やぁ吉野・飛鳥』を運び、元妻と幼い息子を脇に置き、合本『やぁ吉野・飛鳥』売った。

自分が組織を作る人間ではないことを思い知り、妻子を路頭に迷わすわけにはいかないと、某球団の創建60年にあわせて、数冊の単行本の出版も試みた。焦っていたと思う。生き急ぎしたと思う。しかし、あぜ道を広くしたイベントの路肩で自分の歴史の売る行為には、何のためらいもなかった。自己満足かも知れなかった。もう少し政治的に動けば解決した問題と裏腹に、たくさんの仕事をした、という自負もあった。自分にしかわからないことであり、オレが聖徳太子の「捨身虎図」(しゃしんこず)の故事にこだわり、野球の仕事はもうたくさんだ、という思いにかられたまさに、年でもあった。震災後の無力感。自分が編集者となって初めて発売日に発行できなくて、読者になじられた屈辱感、多くの読者は震災の影響に思慮などなかった。事務所の大理石の置物の虎を刻んだ絵がこなごなになり、動くはずのない重い本棚やロッカーが動き倒れて、天井にヒビがいったこと、それでも、歯をくいしばり、夜中に岡山・倉敷へクルマを走らせ倉敷マスカット球場に行った道すがらの神戸へ向かう悲惨な被害事情に絶望したこと、さまざまなことを思い出す。

さて、来年は平城京遷都1300年のメーンイベントの年だ。「政権交代」(天智天皇から天武・持統天応・文武天皇)して、飛鳥浄御原、藤原京では藤原不比等一族が栄華を極めたのだが、聖武天皇時代は藤原仲麻呂らの勢力が落ちかけて、大伴氏・橘諸兄(たちばなのもろえ)などと権謀術を競った。奥州・陸奥の国で金がでたことで、大伴家持(おおともやかもち)らが暗躍したらしい。開眼会は聖武上皇、光明皇太后、孝謙天皇と貴族たち官僚が参列して行われた。行基は???、

民衆にとっては天皇家の仏教が民衆支配の国教であったことに変わりはない。

で、「平城京遷都1300年」のお祭りの名簿調べたら、自民党の利権構造まるわかり。
ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%9F%8E%E9%81%B7%E9%83%BD1300%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E4%BA%8B%E6%A5%AD

平城遷都1300年記念事業推進委員会 [編集] 委員総数153名 * 会長 - 御手洗富士夫(日本経済団体連合会会長) * 委員長 - 下妻博(関西経済連合会会長) * 顧問 - 秋山喜久、森喜朗、奥野誠亮、平山郁夫、石原信雄 東アジア地方政府会合実行委員会 [編集] 委員総数22名 * 委員長 - 石原信雄(地方自治研究機構会長) * 副委員長 - 佐藤行雄(日本国際問題研究所理事長)、谷野作太郎(日中友好会館副会長) * 顧問 - 二階俊博(日韓議員連盟常任幹事)、野村明雄(近畿商工会議所連合会会長)、藪中三十二(外務省事務次官)、森喜朗(日韓議員連盟会長)、平山郁夫、瀧野欣彌(総務省事務次官) 日本と東アジアの未来を考える委員会 [編集] 委員総数95名 * 委員長 - 平山郁夫(日本美術院理事長) * 委員長代行 - 川勝平太(静岡文化芸術大学学長) * 顧問 - 下妻博 * 幹事長 - 松岡正剛(編集工学研究所所長) * 幹事 - 福原義春(資生堂名誉会長)、野田一夫(多摩大学名誉学長)、寺島実郎(日本総合研究所会長)、 小林陽太郎(富士ゼロックス相談役最高顧問)、喜多恒雄(日本経済新聞社社長) 平城遷都1300年記念事業推進議員連盟役員 [編集] 2007年11月15日現在、総員115名 * 会長 - 森喜朗 * 顧問 - 中川秀直、中川昭一、丹羽雄哉、青木幹雄、片山虎之助 * 副会長 - 麻生太郎、伊吹文明、高村正彦、古賀誠、谷垣禎一、津島雄二、中山太郎、二階俊博、町村信孝、山崎拓、与謝野馨 * 幹事長 - 河村建夫 * 幹事 - 大島理森、尾身幸次、久間章生、小坂憲次、小杉隆、塩谷立、島村宜伸、下村博文、武部勤、中馬弘毅、渡海紀三朗、中山成彬、西村康稔、額賀福志郎、鳩山邦夫、福田康夫、細田博之、柳沢伯夫、尾辻秀久、小野清子、北川イッセイ、中曽根弘文、舛添要一 * 事務局長 - 棚橋泰文 * 事務局次長 - 奥野信亮、鍵田忠兵衛、高市早苗、田野瀬良太郎 交通網の整備 [編集] 2010年の遷都祭開催に向け県内北部では道路や鉄道を中心とした交通網の整備が進められている。 道路 [編集] 道路関係の主な工事としては阪奈道路の第二阪奈道路合流点(宝来ランプ)-尼ヶ辻間の8車線化工事が挙げられる(国道308号大宮道路)。これは現在片側2車線(合計4車線)しかなく慢性的に渋滞が発生している(第二阪奈の開業で車両流入量が増えさらに悪化している)同区間の状況を緩和するべく、新たにこの区間に4車線の高架路を作り遠近分離を図るというものである。また、三条通の拡幅も予定されている。 このほかにJR西日本奈良駅の高架化工事が進められている。これは現在地平にある線路を跨線橋で超える構造になっているのを全く逆にする(付近一帯の線路を高架にし道路を地平に移すことによって踏切を無くす)大規模な工事となっている。完成後は駅ホームも高架となり、駅舎も現在の仮駅舎に代わって奈良の歴史をモチーフにしたデザインのものとなる。また駅周辺は西側にホテル誘致・総合保健施設、東側に商業ビルなどの再開発も進んでいる。「奈良駅」の項目も参照。旧駅舎は観光案内所としてリニューアルされる。 鉄道 [編集] 鉄道関係では近鉄奈良線大和西大寺-新大宮間に会期中限定の臨時駅を設置する構想があったが断念された[7]。検討されていた設置場所は国道24号バイパスの高架下付近(平城宮跡の東端)だった。なお近鉄奈良線は阪神西大阪線難波延伸工事(阪神なんば線)が完了し、2009年より近鉄奈良-阪神三宮間で相互直通運転を開始。 一方、JR西日本もおおさか東線南区間(久宝寺-放出)開業の2008年には同線・東西線経由で奈良-尼崎間に快速列車を走らせている。当初計画されていた新大阪-外環状線-奈良間の列車は北区間の工事の遅れにより2010年の会期には間に合わなくなっている(2012年完成予定)。また、JR関西空港駅よりJR奈良方面への臨時列車の運転が計画されている。

引用終り。

「政権交代」なったら、このイベント予算300億円はどうなるの。二階や奥田など落選しているし、森木ローなどどこでも顔だしているし、文化的には無縁な感じですけどね。早い話、道路建設の推進円滑イベントといえなくもない。県立飛鳥万葉文化館あの箱物立派過ぎて、とても黒字化しようのない物ですわね。山ぶっ壊して、常設展などでは全然観光客足らない。特別展しても限界がある。ただ、あそこの民衆の村再現されたところ入ったら、オバケ屋敷より怖い迫力あったね。怨念というか怨霊がいるかのごとく、笑い飯が漫才のネタにしていたが、飛鳥万葉文化館はお勧めやね。中西先生には万葉集の第一人者としてご活躍を願っておりますが、スーパーな箱物ですな。飛鳥を愛するオレの実感としては。

「唐を中心とするアジアに日本を位置づける大きな象徴」
それが蘆舎那佛(るしゃなぶつ)大仏さんだったとさ。

本当は弓削の道鏡にゆきたかったのに、寄り道しすぎて、行けなかったので、つづきはまたの機会に。

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