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古代史の魅惑と危険以後、本日中島らも昇天10周年記念イベントに行く算段 [スポーツと古代史]



1989年の春阪神タイガースと近鉄バファローズの試合(オープン戦)が県立橿原球場で行われた。あの野茂英雄投手が登板した。外野の芝生席の桜が満開で長閑な野球日和だった。タイガースファンではあるが、試合前の野茂投手の遠投に見入った私はあのトルネードと呼ばれた不思議な投げ方と共に、野茂ファンになった。試合は150キロの速球をまだ投げていない野茂投手の真っ直ぐとフォークに手こずりタイガースは劣勢だった。その試合で唯一の得点を叩き出したのは昨年までタイガースの監督をしていた真弓明信だった。
とき、『日本書紀』に書かれた神日本磐余彦(カムヤマトイワレヒコ)という言葉が頭に浮かんだ。若い時に「東アジアの古代文化を考える会」というのに興味を持ち鈴木武樹氏の存在や江上波夫氏の存在を知り、古代史に興味を持った時期があったので、この環境に住みたいな、と思った。が当時はバルブの終末期古墳の高松塚古墳の煌びやかな壁画古墳が八世紀にも及んでいる時代で、その奥にある南大和と名付けられた吉野の新興住宅街にまず土地を求めた。

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森浩一の古代史・考古学







もっと遡れば高校を出て就職したときに、毎晩のように奈良・吉野へ行く仕事が待っていた。丁度「建国記念の日」が制定された年だったと記憶する。昼間には169号線か165号線のどちらかの抜け道を通ったら、蘇我馬子の墓と伝承される石舞台古墳が見えた。中学校2年のときの同窓会でこの明日香の石舞台古墳を訪れた当時はあの巨石の天井石に上り同級生とともに記念写真を撮ったものだ。

いま、2014年7月になり周辺道路の整備は驚くほど進み昔の面影はどんどん少なくなった。路傍にあった鬼の雪隠や鬼の俎や亀石なども周辺が整備されて景色もかなりちがう。


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その近辺にはあの「見瀬丸山古墳」が周辺を削られながらなんとか陵墓参考地ということで、カロウジテ姿を保っている。いわゆる被葬者の確定できる野口大墓≒天武・持統合葬陵などは研究者に古墳の丘陵地を見学させるなど、少しの進歩があったとはいえ、古墳の発掘そのものは、膨大な下準備がいるので容易ではない。キトラ古墳の壁画修理や高松塚古墳の壁画修復や保存がいかに経年劣化させずに研究・保存に必要かを考えると、簡単に発掘しろ、といえないのは故森浩一先生の著作を数冊読めばよくわかる。

しかし、右翼の連中の不思議発見なのは世界の文化遺産には賛辞惜しまないのに、こと、たかだか100年の天皇制FICTIONをときの政府が編み出し、日中全面戦争、太平洋戦争へ突き進んだというのに、未だに大東和共栄圏幻想なのか、はたまた大日本帝国讃美の彼らのいう「平和ボケ」なのか事態は一内閣による憲法無視、「集団的自衛権行使容認」というとんでもな安倍晋三によいしょする大政翼賛会化が進んできた。
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僕に踏まれた町と僕が踏まれた町 (集英社文庫)




海の向こうではイスラエルのガザ侵攻での虐殺、ウクライナの内戦状態化でのドネツクでのマレーシア航空機の誤爆? など中東イスラエル、シリア、イラクと紛争のタネは付きず、軍事産業は

「儲かって、儲かってしゃない状態」

オレは『温人NOTE Loose Leaf』書きや新構想小説書きやサッカー応援などで多忙といえば多忙、周りから見て「遊んでいる」と思われればそれに反論する気はない状態で、

本日はhttp://ramo-nakajima.com/memorial/中島らも昇天10周年イベントに行く算段だ。松尾貴史さんが司会するというのと、桂南光師匠も来るというからだ。ちなみみオレは桂枝雀師匠のファンだったこともあり、南光師匠がべかちゃんと呼ばれた時代に南光師匠の落語も良く聞いた。だいたい話の枕は師匠のクセなどをしゃべりくすぐりながら本題に入るのが多かったと記憶する。


僕に踏まれた町と僕が踏まれた町 (集英社文庫)




とまれ、中島らもは作家であり、リリパット・アーミーの座長であり、朝日新聞の「明るい悩みの相談室」担当であり、あのラジオでしゃべる声聴いたら耳から離れないクセのある音声の持ち主であり、わかぎえふさんがいなかったら、正常な中島らもなどなかったのではないかとという、奇人・変人であっあようだし、周りに集まる文化人も変なイラストレーターのひさうちみきお筆頭におかしな格好で、靭公園に出没して、突然砲丸投げのような鉄球を転がして、ボウリングとなにかの「あいのこ」のような外国の遊びに興じたりしていて、オレは靭公園に近いところを仕事場にしていたので、彼らの世界には行けない正常な人間としてほそぼそと、奥の細道ならぬ、風俗通いでいろいろな情報を仕入れ、気がつけば、某有名球団のPR誌の編集長になったりしていたのだが、

そこで仕入れた情報の確かさは天下一品だった。例えば、旧関テレの裏にサウナ&マッサージがあり、親しくなったおばさんが、某球団の監督のケチぶりが「実は本当でっせ!!」とオレの肩や腰もみながら教えてくれた。オレは特別そんな話を聞こうとしたわけではなかった。しかしおばさんには何回もマッサージお願いしているので、親しくなっていたからであろう。その内容は抱腹絶倒、空前にして絶後、

「ほんまかいな!!」と思わず

うつぶせになっていた顔をむりやり回して聞き直す話があった。

一度目の監督を退任してプロ野球ニュースの解説者になったときの話だ。

週に何回担当していたかは忘れたが、かの元監督は他の解説者と違って衣装代をケチった。どうしてしてケチったかというと、上着は変えないと同じものばかりではまずい。しかし当時のプロ野球ニュース担当の関テレアナは良く知っているように下半身は写らなかった。それ幸いとかの元監督はズボンはそのまま。つまり写らないところに金はかけないと、なじみになったマッサージのおばさんに内幕を滔々と語った。その類の話がオレがマッサージしてもらうたびに増え、お陰で某監督の人物像の裏面を正しくしいることで、かの元監督の采配特性や傾向が番記者の間で噂された○吉なる煙草神話も神話でないことを知った次第!!

ま、コント赤信号のリーダーの副業の秘密もそんなこんなから知ったわけだが、今回は話の枕なので、今回はこのぐらいにしといたる。

チャンチャン!!






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愛国者の「古代史の魅惑と危険」(鈴木武樹)後の数十年と本日中島らも昇天10周年イベント [スポーツと古代史]



1989年の春阪神タイガースと近鉄バファローズの試合(オープン戦)が県立橿原球場で行われた。あの野茂英雄投手が登板した。外野の芝生席の桜が満開で長閑な野球日和だった。タイガースファンではあるが、試合前の野茂投手の遠投に見入った私はあのトルネードと呼ばれた不思議な投げ方と共に、野茂ファンになった。試合は150キロの速球をまだ投げていない野茂投手の真っ直ぐとフォークに手こずりタイガースは劣勢だった。その試合で唯一の得点を叩き出したのは昨年までタイガースの監督をしていた真弓明信だった。
とき、『日本書紀』に書かれた神日本磐余彦(カムヤマトイワレヒコ)という言葉が頭に浮かんだ。若い時に「東アジアの古代文化を考える会」というのに興味を持ち鈴木武樹氏の存在や江上波夫氏の存在を知り、古代史に興味を持った時期があったので、この環境に住みたいな、と思った。が当時はバルブの終末期古墳の高松塚古墳の煌びやかな壁画古墳が八世紀にも及んでいる時代で、その奥にある南大和と名付けられた吉野の新興住宅街にまず土地を求めた。

もっと遡れば高校を出て就職したときに、毎晩のように奈良・吉野へ行く仕事が待っていた。丁度「建国記念の日」が制定された年だったと記憶する。昼間には169号線か165号線のどちらかの抜け道を通ったら、蘇我馬子の墓と伝承される石舞台古墳が見えた。中学校2年のときの同窓会でこの明日香の石舞台古墳を訪れた当時はあの巨石の天井石に上り同級生とともに記念写真を撮ったものだ。

いま、2014年7月になり周辺道路の整備は驚くほど進み昔の面影はどんどん少なくなった。路傍にあった鬼の雪隠や亀石なども周辺が整備されて景色もかなりちがう。

その近辺にはあの「見瀬丸山古墳」が周辺を削られながらなんとか陵墓参考地ということで、カロウジテ姿を保っている。いわゆる被葬者の確定できる野口大墓≒天武・持統合葬陵などは研究者に古墳の丘陵地を見学させるなど、少しの進歩があったとはいえ、古墳の発掘そのものは、膨大な下準備がいるので容易ではない。キトラ古墳の壁画修理や高松塚古墳の壁画修復や保存がいかに経年劣化させずに研究・保存に必要かを考えると、簡単に発掘しろ、といえないのは故森浩一先生の著作を数冊読めばよくわかる。

しかし、右翼の連中の不思議発見なのは世界の文化遺産には賛辞惜しまないのに、こと、たかだか100年の天皇制FICTIONをときの政府が編み出し、日中全面戦争、太平洋戦争へ突き進んだというのに、未だに大東和共栄圏幻想なのか、はたまた大日本帝国讃美の彼らのいう「平和ボケ」なのか事態は一内閣による憲法無視、「集団的自衛権行使容認」というとんでもな安倍晋三によいしょする大政翼賛会化が進んできた。

海の向こうではイスラエルのガザ侵攻での虐殺、ウクライナの内戦状態化でのドネツクでのマレーシア航空機の誤爆? など中東イスラエル、シリア、イラクと紛争のタネは付きず、軍事産業は

「儲かって、儲かってしゃない状態」

オレは『温人NOTE Loose Leaf』書きや新構想小説書きやサッカー応援などで多忙といえば多忙、周りから見て「遊んでいる」と思われればそれに反論する気はない状態で、

本日はhttp://ramo-nakajima.com/memorial/中島らも昇天10周年イベントに行く算段だ。松尾貴史さんが司会するというのと、桂南光師匠も来るというからだ。ちなみみオレは桂枝雀師匠のファンだったこともあり、南光師匠がべかちゃんと呼ばれた時代に南光師匠の落語も良く聞いた。だいたい話の枕は師匠のクセなどをしゃべりくすぐりながら本題に入るのが多かったと記憶する。

とまれ、中島らもは作家であり、リリパット・アーミーの座長であり、朝日新聞の「明るい悩みの相談室」担当であり、あのラジオでしゃべる声聴いたら耳から離れないクセのある音声の持ち主であり、わかぎえふさんがいなかったら、正常な中島らもなどなかったのではないかと、奇人・変人であっあようだし、周りに集まる文化人も変なイラストレーターのひさうちみきお筆頭におかしな格好で、靭公園に出没して、突然砲丸投げのような鉄球を転がして、ボウリングとなにかの「あいのこ」のような外国の遊びに興じたりしていて、オレは靭公園に近いところを仕事場にしていたので、彼らの世界には行けない正常な人間としてほそぼそと、奥の細道ならぬ、風俗通いでいろいろな情報を仕入れ、気がつけば、某有名球団のPR誌の編集長になったりしていたのだが、

そこで仕入れた情報の確かさは天下一品だった。例えば、旧関テレの裏にサウナ&マッサージがあり、そこで親しくなったおばさんが、某球団の監督のケチぶりが「実は本当でっせ!!」とオレの肩や腰もみながら教えてくれた。オレは特別そんな話を聞こうとしたわけではなかった。しかしおばさんには何回もマッサージお願いしているので、親しくなっていたからであろう。その内容は抱腹絶倒、空前にして絶後、

「ほんまかいな!!」と思わず

うつぶせになっていた顔をむりやり回して聞き直す話があった。

一度目の監督を退任してプロ野球ニュースの解説者になったときの話だ。

週に何回担当していたかは忘れたが、かの元監督は他の解説者と違って衣装代をケチった。ふぉうしてケチったかというと、上着は変えないと同じものばかりではまずい。しかし当時のプロ野球ニュース担当の関テレアナは良く知っているように下半身は写らなかった。それ幸いとかの元監督はズボンはそのまま。つまり写らないところに金はかけないと、なじみになったマッサージのおばさんに内幕を滔々と語った。その類の話がオレがマッサージしてもらうたびに増え、お陰で某監督の人物像の裏面を正しくしいることで、かの元監督の采配特性や傾向が番記者の間で噂された○吉なる煙草神話も神話でないことを知った次第!!

ま、コント赤信号のリーダーの副業の秘密もそんなこんなから知ったわけだが、今回は話の枕なので、今回はこのぐらいにしといたる。

チャンチャン!!




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マラソンというなかれ!! ヤマトタケルよ!! [スポーツと古代史]



歴史はきまぐれに書かれている。たとえば、『日本史の虚像と実像』(和歌森太郎・河出文庫)

《民衆には不思議なきまぐれがある! 歴史家の手からではなく、詩人の手から自分の歴史家の手からを受け取りたいと言うのだ。 むきだしの諸事実の忠実な報告ではなく、本源的な詩━そこから諸事実が生じた━━の中にふたたび溶かされた諸事実を欲するのだ。》(ルカーチ『歴史小説の古典的型式』ハインリッヒ・ハイネの言葉)

つまり、ハツクニシラス・スメラミコト、あるいは、ハツ・クニシラス・スメラミコトの書かれていたのは、摂津住吉大社 社司 「住吉大社神代記」だってね。『日本書紀』の神武天皇イメージとは合わない。 ちなみに『古事記』はハツクニシラシシ・ミマキ・スメラミコト であり、ミマキは崇神(すじん・十代)だ。「常陸国風土記」でも、「日本書記」でも、ミマキイリヒコが 3106745 始駁天下之天皇(ハツクニシラス・スメラミコト)であることを否定しない。つまり、右翼なひとたちは、戦前の「神武(じんむ)綏靖(すいぜい)・安寧(あんねい)・懿徳(いとく)・・・」といまも暗礁して、得意がっている人がいるようだが、事実ではありません。「愛国心」の強い、『安吾の古代史探偵』風味のわたしには、その確信だけは、ある。
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