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宮崎美子伝説復活 [銀河鉄道]

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あの日、わたしはクリーニング屋に行った。





あの日、宮崎美子さんがなぜか小田急相模原線のリニューアル工事と駅前再開発のほとんどが完成間近の並びに小さなクリーニング屋があり、そこの係員として現れた。

不思議な感覚で、わたしは二枚のシャツを引き取り、その一枚を着て、さらにその日は曇り空だというのに、なけなしの夏物スーツを着込み靴は菊池武夫の監修の革靴を履いて、小田急相模大野駅に向かった。

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表参道に付き、めざす地中海通りに擬せられる界隈を歩いてみたいという衝動があったからだ。

その表参道にkeep trainのキミがいた。宇多田ヒカルファンならそれがどんなメロディでどんな仮装のMVが流れるかご存じだ。

わたしはその日のことを『七月七日』という短編小説に書き記した。この小説は『球児殺人事件』と『平和な日常』と『権力の欲望』などのオムニバスにしてまとめる魂胆で算段の平兵衛を試みたが、何分文才が追いつかず、また家主との軋轢、環境の不備も重なり停滞して、いまに至る。書きかけた、ブログ公開予定の枕も放置状態で資料読みや歴史認識の確認作業やら、落語会通いなどで、体たらくのときに、

喜楽館(神戸落語常設席)訪問で事件がおこった。

わたしはその日、松尾貴史さんと桂かい枝さんのふたり会が夜にあるのは知っていたし、松尾貴史さんが落語横好きどころか、玄人はだしなのは良く知っていた。天満天神繁昌亭で桂かい枝さんとのふたり会やったときなど、その日出番ある落語家の桂文鹿さんなども、お手並み拝見を袖で見ていたということらしい。

ともあれ、喜楽館行くのに家主に嫌味の雨霰に加えて罵詈雑言に「コロナうつすな!」の止めの言葉に辟易しながらも開演に間に合わすために必死に新開地まで向かったものだ。

理由は旭堂南陵師匠がお亡くなりの訃報があり、驚きさらにお弟子さんの旭堂小南陵さんが、この週の昼席に出ておられるということで、まずは千鳥亭訪問の前にその健気な講談を見ておきたいということがあったからだ。演物は「秀吉と易者」という初めて聞く話だったが、実はその日は開演前に土砂降りになり、当日券がなかったら大変なことになる、と思ったのだがその土砂降りが災いしてか、当日は観客が少なかった。夜席は満席だったのに、そんな日にまさか、

お茶子さんがやで、もし宮崎美子さんそっくりで、袖から消毒スプレーだし膝隠しを吹いたり、座布団運んできやはったら、ただでさえ、ある元AKB? (名前は忘れた)がこの方が吉野大淀の某ドラッグストアに現れたときに二回ほど、わたしの思いの事実は「????云々」と申し上げており、その事実はいまのところ揺らいでいない。 と、ここまで書いておけば、旭堂小南鐐さんもご理解いただけるものと思い師匠の49日間近の日に千鳥亭を訪ねじっくりと講談を目の前で数メートル先で楽しませてもらった。偶然しったのだが、丁度安室奈美恵さんと誕生日が同じというので、近所の花屋さんにお願いしてささやかな花に用意していた、宮崎美子さんとの話の枕に旭堂南陵師匠の小南陵時代にお世話になったいきさつなどの直筆のコピー添えて、豆狸の天満天神繁昌亭のグッズにメモ書きして、わたしとしては、お彼岸を前にして最低限の礼は尽くしたつもりだが、師匠に対するお世話になったにもかかわらずの不義理はお詫びしてもしすぎることはない。実際あの小冊子は師匠の寄稿がただけなかったら、仲間うちから褒められることはなかったことでしょう。 先日、セレッソ大阪でサッカー観戦するのにわざわざ時間があるので駒川商店街あるいて、鷹合市場があったところのK酒店の外観写真も撮っておいたものだ。 終活の前にやることは大してないが、自称ラ・マンチャの男 ドン・キホーテはぜひ風車の里へ猪突猛進したい準備は怠りないために、我慢の日々を過ごしている。
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