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公開恋文仕様 オリンピック少年の東京五輪誘致嫌い! [政治、経済]

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Like a rolling bean (new) 出来事録 様の東京オリンピック誘致反対記事に学ぶオレは
かつての東京オリンピックお宅の少年だったけど、オリンピック好きのオリンピック誘致嫌いとして、
この記事を無断で転載させていただきました。(事後メールしますが、
Like a rolling bean (new) 出来事録 様のご理解がえられれば、この記事は削除しません。

オレがどれほど、オリンピックお宅少年だったかは、小説にしていますので、

この記事の最後に一部掲載させていただきます。

http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10129698842.html

イシハラ氏と電通とそしてオリンピックと(33年前の都知事選:日経『私の履歴書』より

五輪国家財政保証は偽装、万一選ばれても東京に「遂行能力」はありません
http://ameblo.jp/garbanzo04/day-20090416.html

好戦的なレイシスト、イシハラ都知事が「平和のためのオリンピック招致」を語り、それをまたメディアが無批判に垂れ流すとき、わたし個人は、ヒトラーのベルリンオリンピックを想起しないではいられません。

とわたしは先日書きました。

また、空手形である「国家財政保証」は、国会の質問主意書に対しても「いや、出すとは書いてないから」というのですから、完全にあちこちに「嘘だもーん」と舌を出していることになります。IOCに向けても。

昨日時点で、迎賓館の使用許可が正式に降りてはいないという話もちらっと報道されましたが、国民的盛り上がりも当然のように偽装なら、9兆円の東京一極集中のバブルなど「国家レベル」で賛同されていないことも伺えます。

このところ、豊洲の軟弱地盤と地盤沈下が報道されましたが、豊洲だけでなく、プールの建設予定地付近もやはり、重い水をためられないような軟弱地盤のため、建設の構想が変更になったはずですね。

ほんとうに、ある方がおっしゃるように視察の間に震度5などの東京湾直下型地震が起こればお東京都様はどう説明することになるでしょう。

また、別の方がおっしゃるように、そんなタイミングでそれは起こらなくとも、7割の確率で直下型が起こる地域に施設建設を建てることの無理無駄もさることながら、いざ開幕直前や開幕中に地震でそれらが壊れたら、というリスクを、この訪問でお東京都様はどう「危機管理」しているのでしょうか。

◆関連する弊ブログエントリーからいくつか:

2009-04-12
4月14日の築地勉強会詳報転載(付記:築地官製地上げと依然一体化するオリンピック招致計画)
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10240951881.html

2009-04-07
「オリンピック招致より保育園待機児童をゼロに!」というお父さんたちのデモに賛同します
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10238000754.html

2009-03-31
(アソー氏が勝手に署名した)東京オリンピックの財政保証が東京の強み、とNHKが堂々の「誤報」
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10233038964.html

2009-02-09
憲法25条を守ろう! オリンピックのための9000億円の行き先
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10205348083.html

2008-08-29
築地の売り飛ばし構想(画像あり)とサブプライム破綻(またちらつく米国系金融機関)
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10132802136.html

2008-08-21
イシハラ氏と電通とそしてオリンピックと(33年前の都知事選:日経『私の履歴書』より)
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10129698842.html


東京オリンピックとLovin’it

 一は数年前に一枚のCDに出会い、いつもクルマで取材現場へ行く間、繰り返し聴く曲があった。そのCDは中古ショップの目玉商品の棚を克明に探した一枚でA・NとVERBALとのコラボレーションの楽曲でその歌詞とメロディが、自分の十八歳のころの思春期にタイムスリップしたようで新鮮に感じた。それがきっかけで、ひそかにA・Nのファンになり、一昨年にはいわゆるヒップホップなどにも関心が向くようになった。この展開は自分でも想像ができないことだ。なぜ、吉永小百合ファンでサユリストを自認しており、また演歌世代で森進一や都はるみなどに大きな影響を受けているのに、また、小椋佳や井上陽水や森山良子などの曲もよく聴いた時期もあったのに、突然、A・Nのこの曲にひかれた。メロディやラップも新鮮だったが、その歌詞が強烈に、団塊世代の一の郷愁を刺激した。

《必ず 毎朝 出合った 名前を知らない
笑顔と 
ときどき さみしい まなざしが
忘れられない ささやかな 生きがいだった

遠い日の ことのようだけど
雪さえも まだ訪れていない
どこに行ったの?
星を見上げて
元気でいるの?
きがかりなの
永遠に》とA・Nがバラード調で歌い、
VERBALがラップをかぶせていく。

《気持ち夜空に消えてくようなlatter days
まるで何度もくりかえされているdeja vu
止むにやまねえぜ
すれちがいながら広がる人との狭間
(It's crazy)本能逆らう(以下略)》

とくに気にいった歌詞は、
《Ah こうして
人はすれちがってく
Ah そして
人はまた出逢ってく

ちょっとだけでも
考えておきたい
大事な人がそばにいること
大事なものがそばにあること》

とA・Nが歌うこの部分だ。ラップについては、若い人の音楽という認識だったので、特に関心があったわけではないが。この「Lovin’it」を聴いたことで、若い人の音楽もおじさん世代の心に迫ってくることがあるのか、と新鮮だった。ちなみにこの楽曲は小室哲也がプロデュースしていた。

 就職を間近にして、昌子さんというガールフレンドから絶交を告げられ、雅子さんとの文通は順調だったが、一の建て前はお兄様であり、雅子さんはマコちゃんという妹という設定になっており、新しいガールフレンドがほしいと、熱望していた。速水洋子さんという中学時代の同級生が話し相手になってもらえたが、大学進学の受験生であり、日常的に友人関係になれるような状態ではなかっし、そういう対象として考えたこともなかった。あくまでも中学生の同級生の頭のいい女子、という存在だった。話してみて好感は持ったが、異性という感じではなかった。当然、相手も同じ感じで、同級生としてひさしぶりに接してくれただけだった。
 三月になり、免許書の取得と十九日の初出社の日を控え読書と映画鑑賞とささやかな楽しみ。それは、通学のときに、たまに阿倍野橋駅付近などで見かけた、一が「輝く黒髪の主」と日記に書く女学生の存在だった。いまにして思えばゲームみたいなもので、ひと目ぼれしたとか、そういう感覚ではなかった。あの娘、誰だろう。とう程度の思いだったが、チャンスがあれば、話してみたいと、思っていた。
 その女学生が知人の妹かも知れないなど、勝手に想像して右往左往していた。

《三月十一日(金)晴れ
 おもしろいことをしてしまった。まったく予期せぬ出来事であった。輝く黒髪の主がKの妹かも知れないとは、遠くて近くはなんとやらというが、もし、そうだったら、十九日までには何とか実行してみせる。それにしても今日は完全に失敗だった。Kにはやしたてられたためか、すっかり調子にのって、僕の本来のものを出さずに終わった。電話したのはいいいが、黙ってしまうしひとりごと言ってしまって、チンプンかんぷん、これには我ながら情けなかった。もし、彼女が輝く黒髪なら、期せずして、初期の目的は達成したことになるけれども……。マコちゃんの手紙にもはやされるし、オレはどうかしてんのかなあ!》

 一は会社出社を控えてかなり焦っていた。雅子さんの手紙にも、その女性のことを書いていた。この日の前に届いた手紙には
「お兄様可愛い女の子とデートしてみたいって考えてるんですってね。可愛いなと思ったら、すぐその人に言ったらいいわ」と書かれていた。また、その手紙には自分は「デートは窮屈できらいだけど、ベンチャーズに誘われた」ことも書いてあった。

《前に(十日ぐらい)ベンチャーズのファンクラブの券もらったの。何も言わなかったから、私、一人で行くのかと思ってたら、当日迎えにきてくれたのよ。迎えにきてくれた人は(券を私にくれた人と違う人)それで行ったら、券をくれた人が会場で待ってたけれど……。その券くれた人ね、背が高くてスマートで美男子なの。私、音楽なら何でも好きだから、招待してくださったのがとてもうれしかったわ。けど、少し休みの時間など、退屈だったわ。
 だって招待してくださった人と話するのが、初めての日だったから、あまり話かけてくれないんですもの。後から話かけるのが恥ずかしかったからって、あやまってたけど……。
 お兄様も相手を退屈させないように。》と書かれていたのが、プレッシャーになっていた。その手紙には三人の可愛い子の写真を送ったとなっていたが、一はいまは、どんな写真を送ったか思い出せなかった。
 映画『野生のエルザ』を観た翌日は吉永小百合の誕生日だった。その日に一は「輝く黒髪の主」とついに話する機会ができた。彼女はKの妹ではなくて、妹の友達であることが判明、相手はKの近所だというので、近所で会った。

「こんにちは!」
と一は言っても、当然相手は当惑していた。しかし、かまわず、話はじめた。
「昨日、『野生のエルザ』を見てん。見ましたか。あの映画、ジョイ・アダムソン夫妻がライオンの子供を育てて野生に戻す話ですけど、感動的だったよ。ライオンでも愛情持って育てたら、あんなになつくんやね。ところが野生に返すにもまた、大変な苦労があることもわかった。人間ひとりひとりがあのライオンに注いだ愛情持っていたら、すばらしいと思いませんか」
「はーぁ!」彼女はこの男子(ひと)何、いってるのん、という感じだったが、一はひとりしゃべりを始めた。外は寒いので、いつの間にか、玄関口まで入れてもらっていた。
「東京オリンピック見ました。僕は東京オリンピックに夢中になり、終わったあとは、雑誌をかいまくってん。『朝日グラフ』、『毎日グラフ』、『週刊サンケイの特集』に『近代映画の特集』それに東京オリンピックの期間の新聞の縮刷版も買いました。。記録映画のパンフレットも手元にあります。オリンピックの前には読売の特集のグラフも買い、有力選手の名前、頭に描いていたんやけど、実際には、思わぬ選手が金メダル取ったりしたので、感動の日々を過ごしたんやけど、オリンピック興味ありましたか?」
「あまり見ていません!」
 構わず、一はオリンピックの話を続けた。
 「マラソンでアベベが優勝したでしょう。あのとき、二位で競技場に入ってきたんが円谷幸吉だったでしょう。ところが、すぐ後にヒートリーが追ってきていた。競技場に入って、結局抜かれたわけやけど、残念やったね。円谷は一万メートルでも確か六位に入賞したいたと思うけども、その一万メートルの決勝が面白かったん覚えていますか?」
 彼女はかなりあきれていたが、やがて話の内容に少しずつ興味を示すように微笑みを浮かべた。
「それで、一万メートルはどうだったんですか?」と初めて、聞き返してきた。一はこのチャンスを逃してなるものかと、
「一万メートルには実は大本命といわれる選手がおってん。ロナルド・クラークというオーストラリアの選手で、世界記録持ってんねん。28分15秒6やったかな。(一はグラフ雑誌で有力選手の記録を空で覚えているぐらい、オリンピックを楽しみにしていた)オーストラリアのホープでメルボルンでは聖火リレーのアンカーやったんや。二十七歳でマラソンも走るって書いてあったんやけどね。ところが勝ったんは別の選手でした。もう、最後の一周の直線勝負は手に汗にぎったで。とても、長距離の感じちゃうかってんね。ソ連のピョートル・ポロトニコフというローマ大会の一万メートルの優勝者も優勝候補やったけど、勝ったのは、アメリカの無名選手やったんですけど、知ってる?」
「知りませんけど、誰やったん?」
少しずつ、自分のペースへ持込んだ一はさらに、一万メートルの話をする。
「十周目あたりから、クラーク、チュニジアのガムーディ、エチオピアのマモに加えて、アメリカのミルズという選手が前後して先頭争いしてん。あと、100メートルのところでガムーディがぬけだしたんやけど、なんと、その外からノーマークだったミルズが驚異的な追い込みや。一万メートルのレースとは思われへん。外からゴール寸前に抜き去り、勝ってしまったんや。あの映像は何回見ても感動するよ。28分24秒4や。クラークは残念ながら三位で銅メダルやった。楽しかったで」と記録まで付け加えた。
 当時の一はオリンピックお宅みたいなもので、記録もかなりの部分、丸暗記していた。
「よく、覚えているんですねぇ!」
「そうやね。勉強せんとオリンピックに熱中したからね」と自慢までした。
「実は私もオリンピックのスクラップ少してました」と彼女もオリンピックに関心が少しあったことを話した。そのスクラップは上品できれいに整理されていた。勢いづいた一はさらに続けた。
「中距離もおもしろかったでしょ。短距離の100メートルのボブ・ヘイズは予想通りの強さで勝ったけど、800メートルのニュージーランドのピーター・スネルも印象的やったでしょう。1500メートルと二つの金メダル取ったんやね。陸上は日本は円谷以外、ほとんど活躍できなかったんが残念やけどね」
「バレーボールの女子は金メダルだったでしょ」と彼女は返してきた。
「陸上の依田郁子は五位でメダルだめやったけど、あのサロメチールこめかみにつける姿がおもろかったね。ニチボー貝塚中心のチームは強かったね。女子バレーといえば回転レシーブでソ連に勝って良かった。でも、陸上の円盤と砲丸投げに優勝した、タマラ・プレス、あれは、女子としては違反みたいな大きな身体やったね。圧倒的に強かった。それから、高飛びのバラシュは背が高すぎない。棒高跳びの男子も良かった。ドイツのラインハルトとアメリカのハンセンの名勝負で、五メートル以上の記録で競い、夜まで続いたでしょう。最後はハンセンが二回失敗した五メートル十に挑戦して夜の十時過ぎに飛んでアメリカの棒高跳びの十五連勝が記録されてん。覚えてる?」
「そうやったかな!」と思案顔の彼女も脈絡もなく次々にオリンピックの話につきあうのが、しんどくなりつつあった。しかし一はまだ、止めなかった。
「柔道で神永がヘーシンクに負けたん、残念やったけど、国際化した証拠やろね。水泳のショランダーは格好良かったね。金メダル四個も取ったやんか。歳、僕らと変わらんのに、すごかった。また、陸上の話になるけど三千障害のベルギーのガストン・ローランツもいい選手やで。ひげはやしていて、オマー・シャリフのような風貌で金メダルや。陸上はアメリカが圧倒する中、ベルギーの選手が勝ったので印象深いねん。体操のチャスラフスカはきれかったね。体操の男子もよかったね。個人総合で遠藤が勝ち、団体も金メダルやった。女子は団体で銅メダルやった」。もう、一の話は何の脈絡もなくなっていた。ただ、オリンピックのシーンを思い出しては、口にしただけだった。時間もいつのまにか、二時間を越えていた。さすがに、いくら玄関口とはいえ、初対面であまりにもずうずうしい。
「あの、もうこの辺で…」黒髪の主はさすがに、帰るようにうながした。
「すいませんでした。どうもおじゃましました。さようなら」
「さようなら」あきれたように彼女は小さな声で応じた。
 一は彼女をデートに誘うなどという気持ちはなかった。ただ、一度話してみたかっただけだった。日記にもそのことが、記されていた。

《三月十三日(日)晴れ
 (略)それにしてもこんなに楽しく彼女と話を交はせるなど夢にもおもわなかっただけにうれしかった。しかし、僕は調子にのってはならない。失敗をくりかえしてはならないし、もう社会人になるという認識をハッキリ持たなければならない。これはこれで楽しかった。学生時代の思い出としてとどめておこう。こんな楽しい思い出が作れたら後に悔いはない。》

 一は自分に言いきかせていた。翌日の朝は三月の半ばというのに肌寒い日だった。その日、黒髪の主と五分ほど話す機会があった。
「昨日はどうもありがとう」
「私、これから受験とか忙しいので、お付き合いはできませんから、家にも来ないでください」ときっぱり言われた。多分、こうなるであろうことは理解していた。もともと、彼女にできるなど、夢思わなかったのも事実だった。
「あなたも就職して、社会人になるので忙しいでしょう。私なんかのこと、気にしないで、仕事に頑張ってください。私は今年は受験勉強しなければなりませんし、ボーイフレンドいますから、ごめんなさいね!」
 冷静に彼女の言葉を聞いていた。一は自分の少しは成長したことを実感していた。十六日には、『戦争と平和』の映画を観た。ナターシャ役にオードリー・ヘップバーンがでていたからだ。後年、リュドミラ・サベリエーワが出演したナターシャも良かったが、ヒロインのことだけ日記に記した。恋と戦争と平和の尊さを感じながら「恋っていいもんだな」とわかったようなことを書いていた。

 ところで、一九六四年の東京オリンピックは一の記憶をたどると、小学校のころから周到に準備されて、刷り込まれていた。ローマオリンピックは朝、ラジオにかじりついて聴いていた。小学校の五年生の運動会では、フラフープを五輪の輪のように組体操が演目にあり、「五後年の未来にぼくたち、わたしたちの東京オリンピックが開かれるのだ!」と東京オリンピック開催がテーマになっていた。
 東京オリンピックが終わり記録映画が作られた時、当時の気鋭の総監督、市川崑さんが作った映画が賛否両論を呼んでいた。どちらかといえば、記録性よりイメージと映画の芸術性が優先されたようで、いきなりヨットなどのアップシーンが映像に出てきて、とまどったことを覚えている。
しかもこの映画は2000ミリと1600ミリの超望遠レンズが初めて使われ、さらにワイドスクリーン作品としても初であり、映像構想も初の試みが行われており、話題になった。当時シナリオの一部もパンフレットに掲載されていたが、その意欲が伝えられていた。

《この映画は純然たる記録であって、しかも単なる記録に止めてはならない。なぜなら、オリンピックは人類の持っている夢のあらわれなのだから。 
 その時のきびしい現実がなんらかの形で反映してたではあろうが、四年毎に多くの費用と人力を傾注してオリンピックが続けてこられたこと、今後もまた続けられるであろうことは、人類が人間として全く平等であろうとする信念が底流に力強く脈打っているからこそなのだろう。(以下略)》と引用されており、平等性と「人間のすばらしさとかなしさを!」見せたいということだった。
 オリンピック後、この映画は高校生の団体鑑賞推薦映画にもなり、クラスで感想を述べ合う機会もあったので、一の中でもローマ大会の記録映画などとかなり、イメージが違ったので新鮮だった。そのため、「何が起こっているのかよくわからない」という声もあったのも確かだった。だけど、東京オリンピックは一のなかで、思春期の強烈な体験だった。
 一は東京オリンピックを回想することで、ひとまずガールフレンド獲得は諦め社会人として、D愛社に出社した。

以下(略)

数詞はじめ

これ書いたら、持丸長者遠のくけどいいねん。愛する人のことも載せたるから。と、泣き言をいう。









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