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『ええから加減』に行く行かない行く? 公開恋文仕様 藤山直美さんへ [精神科医]

拝啓 藤山直美 様

 ぶしつけながら公開恋文仕様のファンレターをブログに掲載するため、恥ずかしながら一筆啓上いたします。思えば、あなたのお父さまは松竹新喜劇界の巨匠であるばかりでなく、おおよそ役者を名乗る芸人は、あの藤山寛美の芸に学ばなくて、大衆、お客様のこころ、どうしてつかめよう、という声をよく聞かされました。わたくしごとの体験で言えば、「そんなアホな!」という展開から涙なくては語れないところで、また笑わすという芸に多くはテレビを通じてですが、爽快感を味わったものです。わたしは『武器としての笑い』(飯沢匡?)を若いときに読み、笑いが武器になるってどういうことやろうか、と、思ったものでした。井上ひさしの戯曲や本を読み、お芝居のこと全然わからないのに、『天保十二年のシェイクスピア』や『しみじみ日本乃木大将』などのお芝居を観たことがありました。そのとき、思ったのは、藤山寛美という芸人は抜きん出た破天荒な人だったんだな、という感想です。私は小沢昭一さんのファンでもあり、「小沢昭一的こころ」というABC朝日放送で流れる夕方のラジオ番組をよく聞きました。小沢昭一さんは自ら芸人であり、放浪芸などの採集者でもありますことは、藤山直美さまにも少しはお耳に届いておられることと存じます。

 もうひとつジャンルの違うお芝居活動をやっておられる存在にいま、秋田の田沢湖芸術村を拠点に全国公演のお芝居やミュージカルを展開するわらび座を観たときの感想です。当時、何組かで座長公演をされていたのですが、いわゆる役者さんのトップが「めざせ藤山寛美」とつぶやかれたのが新鮮な驚きだったのです。藤山寛美は、私生活も騙すより、騙されよ。という声が聞こえてきましたが、芸人・藤山寛美の極みが様式美の歌舞伎や新劇俳優でもどこかで超えなければならない壁として存在していたのは、なぜだろうと、思ったものでした。大衆に媚びないけれども、芸で笑わせ泣かせて最後はまた笑わせる。あのとき、民衆ということばを思い出したのは、当時のわらび座の創始者の原太郎さんとのであいでした。秋田の田沢湖町のわらび座の本格自前の劇場のこけら落としや座で住み込みで学ぶ卒業生たちの公演をみたとき、「太鼓叩いてひとさま寄せてわしもいいたいことがある」という息吹きを感じたものです。「山は焼けてもわらびは死なず」という言葉も耳から離れません。


大阪で藤山寛美といえば、我が愛した阪神タイガースの岡田彰布(現オリックス・バファローズ監督)の顔とよく対比されたものですが、藤山寛美の子だから藤山直美だからできる喜劇、芸をわたしは後年、あなたの後ろ姿に見ました。見とれました。すごい。わたしは何の因果か知りませんがご高名な役者さんや女優さんなどをお見かけする機会がそのころ、とくにおおございましたので、あなたの芸に俗ないいかたすれば「落とされた」。

 素人がなにいうねん、というおしかりは百も承知、二百も合点です。でも、この事実は消せない。なぜそんなことをもうすかといいますと、生意気覚悟でいわせていただければあの無名塾の主催者の芸にも驚かなかったし、すぐに見抜けました。ご高名な作家の妹さんのYKさんともながく勝負?(変な表現ですみません)して、
 夢であの美声がでてくることがあっても、ゆるぐことがなかったのに、

 あのとき、こころの中が相模川の川面に大きな石を投げた波紋のように揺れた。なんだ。あの芸は。せなかで見せる。まいりました。おそれ多くて、近寄れないオーラというのでしょうか、そしてあなたはそれほどの芸をもっていても、『週刊朝日』6月29日号の林真理子さんとのゲストコレクション対談で美女颯爽と語る。
 いわく、「おもしろいお芝居やったなあ。楽しかったなあ」って言って、電車乗ったりして帰ってくれはるのが一番で、「誰々がこう」というのは次の日昼ごはんぐらいのときに出てきたらええ言葉ですね。

そして、林氏を絶妙の間合いで翻弄する。
 (唖然として)……私、短い詩も覚えられないと思います。短歌四つぐらいかな。
藤山  私、タンカ切るのもうまいです。(笑)

 この「間」を構成者が伝えていないのは残念ですが、お芝居でいう台本のト書きいるとこちゃいまっか。そしてあなたは瀬戸内寂聴先生との逸話もさらっと話す。
藤山 その寂聴先生ですけどね、うちの家が借金だらけのときに、何ともならなくなりまして、うちの母親が寂聴先生のところに宝石を売りに行ったことがあるんですよ。そのときに「いまは苦しいかもわからないけど、いい思い出だから、この宝石は売ったらダメですよ」って言うて、戻してくれはったんです。
 

 そしてあなたは分をわきまえ過ぎるほど謙虚だ。「野球のピッチャーでいうたら、お父さんは先発で、私は中継ぎですから」と語り、
点火台の最後の人は男の役者さんが出てきて点火すればいい、とまでいっておられる。
 そして芸については厳しい。


「私は鍛えられないです。それは本人です。喜劇は発想の芝居なんで、発想は教えられないです。」と、

 過激に言い切る。歌舞伎を愛しお芝居を愛し、分をわきまえ過ぎる。藤山直美の大看板なら、随分おえらい方のはずなのに、「素」はおもしろみないなどと勘三郎さんにいわれたりしておられる。
そんな、魅力ある松竹の大看板が東宝の舞台で高畑淳子さんと漫才コンビ演じるというのに、小遣いどこで使い込んだのか、行こうか行くまいか、悩んでいる不埒なあちきを、ゆるしてください。あちきは藤山直美さまのファンです。

 さいきん、わたしの中でマイブームは「あちきでありんす」失礼しました。
なんとか行く決断をしたいと思いつつ。


  デモ参加の費用もかさみ貧乏おじん笑ってやってください。「15両貯めて高尾に会いに来る度胸でこんかい!」ってか。うれしゅうございます。それぐらいの切符きってもらわないと、パンチも入れられないし、こちとら記念切手も発行できますまい。三年どころか、数カ月でホンモノの「あい! あい!」見つけて、藤山直美さまをうらやましがらせてみせようぜ!

  ヒッキーにもふられた男。どこがもててんねん。

 はなしちゃうちゃう。こんなんでどうでしょうか。藤山直美師匠。
ちゃんちゃん。


追伸 ちなみにあちきはさいきん、燐光群のお芝居見て、その原作者の清中愛子さんにかなり、いかれております。破天荒な発想の詩人です。本廉価版ですが予約しました、届くのが楽しみです。あの詩集届いたら歯周病で歯なしのあちきでももっと藤山直美さんをおもろい話で笑わすことできたのに、と残念でなりません。


あちきの分相応といわれればおみとめします。ここまで書いてもためらうあちきの度胸のなさが情けない。あちき松竹芸能のあの占い師で変になった方とまじでM1でようと漫才の台本書いたことあります。パソコンがクラッシュしてどこにファイルのコピー保存していたかも忘れでてきませんが、彼女、実質三回ぐらいであちきのこころ奪おううったって、そうはいきまへん。相模の国は美女がいいっぱいいる国だったのですから。

しかし、一回のせなかでいかされやした。

藤山直美は男殺しの罪深い女ですよ。みなさま。





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