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持丸長者の歴史に何を学ぶか? [政治、経済]

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憲法を改悪したい、自公論者への 消せない事実と、修正したい歴史。

『持丸長者』広瀬隆著・三部作の通史から。維新の明治憲法が天皇を取り込んで、独裁者を作る憲法となった。
第一条の「大日本帝国万世一系の天皇之を統治す」に始まった条文は、
第十一条で「天皇は陸海軍を統帥す」と規定し、
第十二条で「天皇は陸海軍の編成及常備兵額を定む」と規定し、
第十三条で「天皇は戦を宣し和を講し及諸般の条約を締結す」と規定したのである。

この明治憲法を御柱にして、貧乏農民を兵隊にする徴兵制ができた。山縣有朋、われわれは、武士階級を消滅させた。と自負しかし明治六年には一度は事件を起こし辞任、二ヶ月後には陸軍卿に復活し、強大な権力を握り、軍国主義を成し遂げた総理大臣を改めて、ここに、告発したい。 議会が開かれ大日本帝国憲法は彼により施行された。
「主君に忠実に従え」と語る武士道の教理によって維持された徳川幕府の封建社会が一度崩れ去り、新たに、天皇柱に編み出された国学、神道を至上のものとし奉る明治政府は、そこに民衆の歓心を買うためにヨーロッパとアメリカから「自由」の思想を輸入し、うわべを自由化粧しながら、一体何をおこなったのであろうか。実際にはそれと正反対の、憲兵と呼ばれる軍事警察が、明治十四年という早い段階から登場して、民衆監視と弾圧を始めた。(336ページ・幕末維新篇)

この前段には、西南・戊辰戦争の陰で三井・三菱・大倉・藤田の財閥集団が事実上歳出の百パーセントあるいはそれ以上をの戦費を独占した。 「ここまでにすぐれた日本の産業である米作、生糸、綿紡績、お茶など、膨大な数の民衆が厳しい労働の末に稼ぎだして国に納めた金は、戊辰戦争残兵や貧農あがりで構成された官軍新兵と、屈強の薩摩武士がくりひろげた血みどろの戦いのなかで使い果たされ、それをそっくりいただいた一握りの人間がいたわけである。殺し合いしたければ、いくらでも勝手に殺し合いをすればよい。しかし無辜(むこ)の死体の上に金をもうけるのは、人間として最も卑劣な行為である。この卑劣さが、本来の商道を外れ、戦争の底に脈々と流れる商業原理であった。」(338ページ)  つまり、死の商人たちだ。
例えば、

戊辰戦争の兵器調達で巨財を築いた六代目・森村市左衛門は東京持丸長者の大富豪だった。中津藩御用商人から、福沢諭吉と親交を深め、富士製鉄、富士紡績、森村銀行を設立、日銀総裁までつとめた。「この構造は、危険な欲望を刺激せずにはおかなかった。」
つまりひとたび戦争が起これば、莫大な需要があり、国家予算がどっと軍需資材の生産工場に流れ込み、「その利益がこっそり財閥の富豪に還元される」というわけだ。
1894年 日清戦争。
しかし、「おかしなことが進行した」
 以下、340ページ以降の通史を引用しておこう。

日本の朝鮮支配と竹島編入
明治二十七年(一八九四年)七月二十三日、日本軍が朝鮮の仁川(じんせん・インチョン)に上陸、京城(けいじょう・ソウル)の朝鮮王宮を占領し、次々と攻撃を仕掛けた(ここでは日本の侵略史の記録を再現するため、韓国など侵略地の正しい地名カッコ内に示し、当時の日本人が呼んだ地名で記す)。そのあと、ついに八月一日に日本が清国宣戦布告して始まった日清戦争は、明治二十八年一月十四日に戦争の混乱にまぎれて 尖閣諸島を日本の領土に編入した。さらに、日本の勝利によって、四月十七日に下関条約を締結して、中国が台湾を日本に割譲することになった。まず日本は戦利品として、尖閣諸島を日本領土と宣言し、台湾を植民地化したのである。朝鮮の西に位置して旅順や大連などの要港を持つ遼東半島だけは、一度日本に割譲されながら、ロシア、フランス、ドイツの三国干渉によって、中国に返還されることになった。 続いて明治二十七年(一九〇四年)二月十日に第一次桂太郎内閣が始めた日露戦争のさなか、八月二十二日に、日本は第一次日韓協約を締結して、「韓国政府は日本政府が推薦する財政・外交顧問に任用し、また外国との条約締結や特権譲与については日本政府と事前協議しなければならない」と定めて、韓国を事実上の支配下に置き、第一銀行韓国総支店を朝鮮の中央銀行として認めさせた。時の第一銀行頭取は渋沢栄一である。日本はロシアと戦っていたはずだが、朝鮮を支配したのである。
さらに問題の竹島のことですが、

翌明治三十八年二月二十二日には日本は鴨緑江(おうりょっこう)軍が前進を開始し、奉天(ほうてん)満州。現在の中国東北部・遼寧省瀋陽市)に対する攻略作戦に踏み切ると、同日、島根県告示が竹島を島根県所属とする旨を一方的に宣言し、この無人島を公式に「竹島」と命名した。九月五日、日露戦争に勝利して日露ポーツマス条約に調印すると、帝政ロシアが清国との条約によって保有していた南満州の権益がそっくり日本に譲渡された。日本は旅順・大連の租借地と、南満州の長春~旅順の鉄道経営権などを獲得したが、同時に、韓国における日本の利権を国際的に承認させた。「ロシアをアジアから追い払うのだ」と主張しながら、実際にしたことは、この戦争のさなかに韓国の外交権を略奪し、竹島を日本の領土に編入し、満州支配に着手したのである。
(以下略)
清国、ロシアと戦争しながら、つまり韓国を日本の持ち物にした条約がその年の十一月十七日の第二次日韓条約締結で統監府をソウル(京城)に設置。第三次日韓条約では、韓国の内政も日本人統監の指導下に置き、韓国軍隊を解体、軍事力と裁判権も日本が掌握。これは伊藤博文初代統監の仕事だった。 ネットウヨの戯言など一切出る余地はない。反日、当たり前の行為を我々日本の権力者はしてきたのだ。
(続く)















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